姉ケ崎物語


当時藤掛ファンのページの管理人をしていたので、以下の掲示板の書き込みの管理人は成瀬です。



2000年2月6日(日)
に、管理人となるなる(Myワイフ)と末武さん(岐阜大)の3人で、藤掛先生の御自宅にお伺いしました。その時のいろいろの話、できごとを順不同で思い付くまま、「姉ケ崎物語」として、書きためてみようと思います。みなさまからよせられた質問の先生のお答えをまぜながら。そして、皆様からの反響を取り入れながら。


姉ケ崎物語・その1、パストラルファンタジー@

 投稿者:管理人  投稿日:02月07日(月)23時56分39秒

藤掛先生の御自宅は千葉県市原市。JRは総武線内房線の姉ケ崎駅。東京駅より約1時間。
私達3人はお昼前に姉ケ崎駅に着いた。駅にはジェフ市原のフラッグ。着いたことを電話したら、
先生すぐ車で迎えにきて下さった。
それから、帰るまで約7時間、あっという間でした。
その時のいろいろの話、できごとを順不同で思い付くまま、
「姉ケ崎物語」として、書きためてみようと思います。
みなさまからよせられた質問の先生のお答えをまぜながら。

その1「パストラルファンタジー」の正式名称。

最初「 Pastorale Fantasy」(パストラーレファンタジー)と付けたところ、
"Pastorale"はイタリア語で"Fantasy"は英語で、2つの国の言葉が混ざるのはよくないと
のことで、「Pastoral Fantasy」(パストラルファンタジー)と英語に統一したそうです。
岩井邦嘉さんの想像どおりでした。さすがです。


Re:姉ケ崎物語

 投稿者:幅田さん  投稿日:02月08日(火)17時34分18秒

じゃ、ファンタジーをイタリア語にしたらなんて言うのかな?
パストラーレっていう言葉、割と好きだったんだけど。

藤掛先生のお話Aも楽しみにしています。


なるほど

 投稿者:Kunika@Concordiaさん  投稿日:02月08日(火)19時32分49秒

>管理人殿

お疲れ様でした。というか、羨まし様でした(?)かな?
なるほど、これでパストラーレ(すみません私はこっちの方が板に
ついているもので・・)のことがわかりましたね。

みなさん、お元気そうで何よりでした。
私もこちらにいるうちにぜひ訪問させていただきたいと思っています。
(たぶん5月になれば・・)

藤掛さんのお宅のお話、楽しみにしています。


姉ケ崎物語・その2、ARSNOVAさん

 投稿者:管理人  投稿日:02月08日(火)22時23分05秒

1日で書き込みたくさん、皆様ありがとうございます。
井上さん、ごぶさたです。先生、ARSNOVAさんのことすごくほめてました。

その2、ARSNOVAさん。

先生「そう言えば、成瀬さん、ARSNOVAの東京来てくれてありがとう。」
私「ええ、すごかったですね。」
先生「カザルスホールが一杯になってよかったよ。でも、ほんとあの人達うまいよね。」
私「ええ、なんか熱いんですよね。」
先生「うん、・・・(絶賛のおことば)・・・」「今度ね・・・(ということで以下参照)」

第2回マンドリン室内楽 in TOKYO
2000年3月12日(日)午後2時より
滝野川会館大ホール(JR京浜東北線・上中里駅下車)
出演 アンサンブル テスタ カルド
     ナーシャムジカ マンドリンアンサンブル
     バロールマンドリン室内楽団
     イル・マンドリーノ・アマービレ
     ラスカル・マンドリン・クインテット
     プロベル立川
     CO Duo(招待)
     ARSNOVA Mandolin Quartet(招待)
招待演奏の2グループは、藤掛先生の新曲「Spring Sprung」と「Aqua Rhythm」を
初演する予定です。・・・・・とのことです。

皆様、ぜひ、お出かけ下さいとのことでした。


姉ケ崎物語・その3、パストラルファンタジーA

 投稿者:管理人  投稿日:02月09日(水)22時43分12秒

先生からいただいた資料より、「パストラル・ファンタジー」の初演日がわかりました。
“この作品は、1975年6月から7月にかけて作曲、8月23日に初演された。”
とありました。

透明人間さんより以下の情報は以前いただいておりました。
*****************************************
1975年夏、金沢において東マン岐阜大学ブロック(岐阜大学、椙山女学園大学)により初演
され(日付、会場は判明しませんでした)、そして、同年8月29日(金)愛知県勤労会館で行
なわれた東マン合同演奏会第3ステージにおいて、東海地区でのお披露目となりました。
*****************************************

ということは、8月23日に金沢で初演、29日に名古屋で演奏となります。
東マン、岐阜大ブロックさんの活発な行動力に脱帽です。

初演メンバーから投稿があればすごく幸せなのだけど・・・
頼みの綱は、その初演を聞いたと思われる先輩を持つ、富山大OBの幅田さん情報ですね(^^)


姉ケ崎物語・その4、「あ〜」について

 投稿者:管理人  投稿日:02月10日(木)23時11分41秒

先生への質問を募集したところ、一番多かったのが、うたについてでした。
先生に伺ってみました。

先生いわく「歌っても歌わなくても、どちらでもよい」とのことでした。
歌ってくれれば良いが、歌わなくても十分効果がでるようにと、考えておられるようです。
うたのある一つ一つの曲にすべて解説して下さったわけではありませんので、
悩んだ時は、先生に聞いてください。

以下、私の想像です。ただの参考意見としてお読み下さい。
先生のことが、お話しているうちに、だんだんわかってきたのですが、
先生の曲はこう演奏しなければ、演奏許可を出さないといったことは、絶対ないようです。
スコアをちゃんと購入してくれて、JASRAC(日本音楽著作権協会)にちゃんと届を出して
くれさえすれば、どう弾こうが楽団の自由におまかせといったかんじでした。
ただこんな風に弾いてほしいとう気持ちは、当然お持ちになっておられ、参考CDの発売も
そのへんにあるようです。CDの件はまた後日書きます。

あくまでも、私と先生の話の中でかんじたことなので、あくまでもただの参考にして下さい。
でも、たとえば、弾きたいけど歌がむずかしそうとか、なんとなく歌はいやだなあと思ったと
しても、歌わなくてよいとなれば、もっともっと再演される曲もあるのではないでしょうか。


姉ケ崎物語・その5、藤掛先生の御自宅@。

 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)00時18分30秒

藤掛先生の自宅は音楽事務所も兼ねています。
20年前にお伺いした、岐阜の日野は、野山の中の1家屋。まわりに家は一つも無くとても
びっくりしました。しかし、シンセサイザーの大音量の演奏を聞いて、近所迷惑にならないから、
と説明をうけてきれいに納得しました。

今度の千葉の御自宅はどうかと興味しんしんでした。
ついてみると、静かな普通の住宅街でした。
ただ先生の仕事場は、2階にあり、ガラスサッシが二重になっており、
入り口のドアも重たく頑丈にできており、完璧な防音設備のある御部屋でした。
自分で作ったんだよと説明して下さいました。
閑静な住宅街で演奏の音がどうかと心配しましたが、相当な音量でも大丈夫のようです。
実際に音を出してくれましたが、大きな音でした。(この事は、後日報告させてもらいます。)

岐阜の時、日本太鼓の曲「逅」を作曲された時は、自宅の庭で、沢山の太鼓とともに
みんなで練習したのが、なつかしいといわれてました。(つづく)


きねづか事務局さん

 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)01時07分31秒

コンサートご苦労さまでした。
きねづかさんのHP見てると、いい演奏会だったようでなによりです。
藤掛先生にも、「パストラル」をもう一度弾きたいという熱意から始まった演奏会のある事を
お伝えしときました。
先生喜んでくれました。


富山大学OB、幅田さん

 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)09時39分26秒

藤掛先生に富山大学さんのことを聞いてみました。
先生は、即「セレナーデNo3をやってもらった。」とおしゃられました。
むかしからよくやってもらっているという認識でたいへん好意的でした\(^o^)/。

TOPページにありますお知らせの曲は、編曲/指揮/指導:藤掛廣幸とありますので、
たぶん良く知っている曲のマンドリンへの編曲物と思われます。
曲名は2曲ほどさわりを弾いていただきました。とてもかっこよかったです。
曲名は書いてよいのやらわかりませんので、とりあえず秘密です。
>一人でも合奏気分が味わえるのではないかと...
というのは、すごい意見だと思います。
ひょっとして、「一人でも楽しめるパストラルファンタジー」というカラオケCDがでれば、
ヒットするかも(^^ゞ


藤掛先生からのメールです。

 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)09時51分53秒

先生から本日いただいたメールより、先生には無断で(^^ゞ一部ご紹介します。

伝言板に、「熊さん、八っつあん」という形でエッセイを書いていらっしゃる人、
とてもセンスが良いですね。文章も内容もおもしろく読ませてもらいました。
藤掛廣幸

風待鳥さん、やったね( ^^)/\(^^ )

まだ、お読みでない方は下記URLをクリック!


姉ケ崎物語・その6、藤掛先生の御自宅A「はち」。

 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)19時

先生のご自宅に着くと、玄関には、真っ白い大きなワンちゃんが、わんわん吠え立てます。
見知らぬ人(私達)に警戒してます。ちゃんと番犬の役をしてます。
先生が「はち!よしよし」と声をかけるとおとなしくなりました。
先生はとても「はち」が好きなようです。
私達は、お昼を、奥様とお嬢様の手料理でダイニングルームでごちそうになったのですが、
先生は、「暖かければ庭でバーベキューやりたかったのだけど、今日は風があるから」
と残念そうに庭を見られます。
私達は、お庭で食事するのもすてきかなと思っていたら、お嬢さんが一言。
「はちと一緒にいたいだけなくせに!」
先生は、ばれたか!といった顔をされてます。

また、リビングルームには、大きな賞状。そうです、
国際エリザベート音楽コンクールグランプリ受賞-オーケストラ曲「縄文譜」[1977]
の賞状です。私は、う〜ん、これがそうかと見いってしましました。
もちろん、ほとんど読めませんでしたが・・・(^^ゞ

帰りは、「はち」はまったく吠えませんでした。
先生、「はちは家から出て行く人には吠えないんだよ。」と自慢そうでした。

ここで、皆様に質問です。
Q:「はち」は先生のお仕事にもたいへん役にたってるようです。それは、どうしてでしょうか?
おひまな方は、答えを考えてメールください。


名犬「はち」の効用は・・・

 投稿者:風待鳥さん  投稿日:02月15日(火)23時49分43秒

(答え)いつもA=440Hzで吠える。

   ・・・というのは、いかがでしょうか?

 > 伝言板に、「熊さん、八っつあん」という形でエッセイを書いていらっしゃる人、
 >とてもセンスが良いですね。文章も内容もおもしろく読ませてもらいました。

 先生からのこのメッセージは、私ごときにはあまりにもったいないです。
 それでも、これを励みに、また頑張らなくてはと思いました。
 これからもよろしくお願いいたします。


姉ケ崎物語・その7、銀座のからくり時計

 投稿者:管理人  投稿日:02月13日(日)23時09分26秒

藤掛先生は、銀座のからくり時計?の作曲を頼まれてるようです。

先生「3月までに作ってといわれてるんだよ」
私「どんなのになるんですか?」
先生「それが、まだ1小節もできてないんだよ、ガッハハハハア」
私「・・・・」

銀座のどこかはわかりませんが、時計の時報にあわせてなる?音楽のようです。
楽しみですね。


姉ケ崎物語・その7’、銀座のからくり時計

 投稿者:管理人  投稿日:03月11日(土)14時31分52秒

本日先生よりいただいたメールに、

■東京銀座4丁目交差点に4月にオープン予定のからくり人形の音楽も担当しています。
 機会があったらお聞き下さい。

とありました。
どんな音楽なのでしょうか、楽しみです。


姉ケ崎物語・その8、新作CD

 投稿者:管理人  投稿日:02月16日(水)00時58分28秒

藤掛先生への質問募集したところ、2番目に多かったのが新作CDのことでした。

時期はわかりませんが、
   「アクアリズム」「森と水のシンフォニー」

ギター合奏から
   「さくら綺想曲」「海のファンタジー」
(この曲に関しては、以前、島崎さんより情報いただいてます。下記URLをご覧下さい)

国民文化祭の邦楽の祭典で、琴や尺八、三味線等100人による新作発表された
    交響詩「山河緑照」

等のCDを出したいといわれてました。

「山河緑照」はさわりを聞かせていただいたのですが、琴や三味線って発弦楽器と言う点で、
すごくマンドリンやギターに似ているところがあります。すごくかっこいい曲のようでした。
ひょとして、マンドリン合奏にアレンジされるのでは・・・なんて思ったりしました。


姉ケ崎物語・その9、パストラルファンタジーB

 投稿者:管理人  投稿日:02月16日(水)22時35分49秒

パストラルファンタジーは、私が大学卒業後、コーダの部分が少し長くなった改訂版がでました。
私などは、原曲のほうがなじみ深かったのですが・・・
このことをお伺いしてみました。
先生あっさり、「よくなかったので直した。」とのことでした。

今でも改訂前の原曲を演奏をするところあるのでしょうか?
作曲家である先生の意志を尊重するなら、「パストラル」は改訂版が一番ということになります。


Re: 姉ケ崎物語・その9、パストラルファンタジーB

 投稿者:ITA@新マンドリン楽団さん  投稿日:02月17日木)12時18分55秒

"姉ケ崎物語・その9、パストラルファンタジーB" 管理人 wrote:
> 今でも改訂前の原曲を演奏をするところあるのでしょうか?
> 作曲家である先生の意志を尊重するなら、「パストラル」は改訂版が一番ということになります。


何回か改訂されているようで、スコアを購入する度に少しづつ
微妙に異なっていたりします。
#譜面作成ソフトを変える毎に異なっているという噂もあり(^-^;;


姉ケ崎物語・その10、ピーターと狼 投稿者:なるなる  投稿日:02月18日(金)21時10分10秒

ピーターと狼は、私が子供の頃親に買ってもらった最初のレコードです。
台詞付きの音楽なんて聴いたことがなかったので何度も何度も聞きました。
藤掛先生の御宅にお邪魔した時、ピーターと狼のスコアを目ざとく見つけた私に
先生が「聞いたことあるの」とおっしゃいました。
私が「小澤征爾のもの」をとお答えしたら気軽に演奏して下さいました。
しかも台詞は先生が作られたものとか・・・。
ピーターや小鳥や猫のメロディーを一緒に口ずさめるとは何と言う幸せ♪(⌒0⌒)/~~
先生は狼の役をなさったそうで、狼を歌って下さいました。
こういう言い方はとても失礼なのでしょうけど、『プロなんだ!』と実感しました。
きさくなお人柄につい甘えてしまうのですが、陰で努力されていることを
ひしひしと感じました。
そして音楽に全てを捧げておられることも・・・。
先生に間近で演奏してもらうと、天から美神が舞い降りてくる感じです。
し・あ・わ・せ♪(^o^)□――□(^o^)♪


成瀬さんが継続的に掲示板に書かれている ご自宅訪問記は、藤掛先生のごく日常的な普段着の姿が垣間見ることができて、実におもしろいです。

(KMTさんからいただいたメールです。/2000.2.19)


姉ケ崎物語・その11、パストラルファンタジー最終話 投稿者:管理人  投稿日:02月20日(日)05時18分

1975年全日本マンドリン作曲コンクール1位なしの2位に「パストラル.ファンタジー」が
選ばれたことは、ご存知の方も多いと思いますが、今日はその話です。

とはいっても、この話が出た時は、ビールが4本、ワインが1本と半くらいあいたころで、
記憶にすごく自信がありません。報告するにはあまりにあいまいなので、迷いましたが、
また、オフレコの話も多々ありまして、書ききれないのですが、
雰囲気だけでも感じていただけたらと思います。お読みになりましたら忘れてくださいm(__)m
その話を聞いてた末武さん、まちがいありましたら教えてね。

藤掛先生のお友達に横内花子さんという、ひげもじゃなナイスガイ?の方がおりまして、
その方が岐阜大さんの「パストラーレファンタジー」を聞いて、これは良い曲だから、
全日本マンドリン作曲コンクールというのがあるので、応募してみないかといわれたそうです。
当時先生は25歳だったそうです。

当日のコンクールの演奏は、とても・・・(ピー)・・・なできで、演奏後、
東の大御所(ピー)先生が、藤掛先生を呼び出して、
「きみきみこんな曲・・・(ピー)・・・」と悪い評論をしてくれたそうです。
それに対して西の大御所(ピー)先生が絶賛してくれたそうです。
その二人の間で、喧喧諤諤のすえに、1位なしの2位ということで決着したらしいです。

1位に反対された先生は、その後のこの曲の大ブレイクことを知り、
いかがお思いになられたのでしょうか、と思ってしまった管理人でした。

また、「25年経ってもまったく色褪せない“パストラルファンタジー”って、音楽の永続性
という意味でもすごいですね。」と、帰りの送っていただいた車の中で話した私に、
先生はきっぱり「いつもそのことを考えている。」
といわれました。
それを聞いて私は妙にうれしくなり、100年経ってもきっと輝きを失わないにちがいないと
強く思った管理人でした。

音楽を後世に残そうと作曲しているという意味では、ありません。


姉ケ崎物語・その12、藤掛先生のお嬢様

 投稿者:管理人  投稿日:02月21日(月)00時09分37秒

先生のお嬢様、名前は2文字。東京にある某有名大学の1年生。テニスサークル所属。
とってもかわいい。甘えん坊である。
テニスかなり強いらしい。
先生もテニスよくやられるそうですが、お嬢様の方が強くなってしまったようです。
もっとも先生は、そのことを認められてませんでしたが(^^)
お嬢様は、先生が毎日音楽ばかりやってるので、逆に、スポーツに熱中したらしいです。


横内の花子さんは、

 投稿者:岩井邦嘉さん  投稿日:02月21日(月)12時44分09秒

姉ヶ崎物語11に登場する横内の花子氏はマンドリン製作家です。
しかも私の師匠です。(もう十ン年前、私はこの工房で弟子としてマンドリンを
作っていました。)
昨年10月、弦楽器フェアで久々にお会いした時もナイスガイぶりは健在で、
特許を3つもとった新しいマンドリンを披露してみえました。
この方は時々登場する「チンチロリン合奏団」の主宰者で、演奏会前は
ご自宅でメンバーを集めて合宿までするという熱の入れようだったそうです。
現在は、長野県の原村に工房を構え、マンドリン製作をされていますが、
東京にも販売代理店を持っておられるようです。(資料が手元にないので
詳しいことはごめんなさい。)
以上、ちょっと補足。


岩井さん

 投稿者:管理人  投稿日:02月24日(木)12時40分06秒

補足説明有難うございます。
横内の花子さんは、今もチンチロリンで演奏されているのですか?
マンドリン製作者としての、パンフを藤掛先生宅で拝見させてもらいました。
森の中のマンドリンといった感じでした。


チンチロリンは

 投稿者:岩井邦嘉さん  投稿日:02月24日(木)20時05分20秒

チンチロリン合奏団はたぶん「4回目の演奏会」(1976年頃)を最後に解散したと
思います。当時、メンバーだった方々の中には今でも「岐阜シティ」とかで
活躍なさってみえる方もおいでのはずです。(すみません、詳細は分かりません)

ご覧になったパンフは「弦楽器フェア」の時、私もいただきました。


姉ケ崎物語・その13、岩井邦嘉さん

 投稿者:管理人  投稿日:02月24日(木)23時45分58秒

岩井さんからお預かりしている、初期の名曲初演パンフやシンセサイザーコンサートの
パンフを先生に、岩井コレクションとして見ていただきました。
先生はたいへん懐かしがっており、こういうパンフを
いまだにもっておられることに、驚いておりました。
(なんしょ20年以上前ですから・・・(^^))

そして、私の口から岩井さんの名前が出たことにビックリされ、
インターネットで・・・と説明したら、
先生「岩井くん、よく知ってるよ!!」
私「私と岩井さんは年が同じようです。」
そこへ、初めてお会いする先生の奥さんがあらわれました。
「静岡の成瀬です。」と名のる私に
先生すかさず「岩井くんと同じ年なんだって!」
奥様「あらまあ!そうなの!岐阜の頃は、岩井さんよく来て下さったのよ。」
ということで、先生ご夫妻は、岩井さんの名前を通して、
私の時代背景をぱっと理解されたようでした(^^)


ついて行けばよかった↓

 投稿者:岩井邦嘉さん  投稿日:02月25日(金)09時12分46秒

>管理人殿
今、ちょっと仕事が繁忙期なので今回は見合わせましたが
調整してついて行けばよかったです。
今度行く時は誘って下さい。


岩井さん2

 投稿者:管理人  投稿日:02月26日(土)01時21分44秒

今度はぜひ御一緒にお伺いしたいものです。
お声掛けさせてもらいます(⌒‐⌒)


姉ケ崎物語・その14、マンドリン合奏参考用CDについて

 投稿者:管理人  投稿日:02月29日(火)

マンドリン合奏参考用CDについて聞いてみました。
先生いわく、
「作曲家にとって、書いた曲が良い演奏をしてもらえる事は大変重要です。
作曲家がどんな風に演奏して欲しいと思っているかを、多くの人達に知って頂く事が大切だと
思ったので、手元にあった今までの音源からふさわしいものを選び出してCDを編集しました。」
とのことです。

また、テープを送って欲しいという要望が大変たくさんあったことも、背景にあるようです。
CDは、その都度作成しているとのことでした。


HPの藤掛広幸先生訪問記、楽しく拝見させて頂いております。
藤掛先生のお人柄の良さが伺い知ることができました。

(S.Nさんから頂いたメールです。/2000.3.2)


姉ケ崎物語・その15、藤掛先生のお仕事

 投稿者:管理人  投稿日:03月05日(日)14時30分09秒

藤掛先生のお仕事のメインは、もちろん作曲。
音楽を創造するということは、キーボードの前に座っていても全然できないんだそうです。
多くは、「はち」と公演を散歩しながら曲想を練ったりするそうです。
姉ケ崎物語その6の「はち」の大事な役割は、お仕事中の先生のおともということになります。

そして、毎日、普段着で「はち」と散歩している先生を見て、近所のお子さんが、
「おじちゃん、仕事行かなくていいの?」と心配してくれるそうです。
そして、たまにスーツ着て出かけると、その子が、
「おじちゃん良かったね!今日はお仕事あって!」と声をかけてくれるそうです(^-^)

作曲のお仕事は、仕事していても仕事中にみえないところが、醍醐味だそうです(^^)。


お仕事

 投稿者:幅田さん  投稿日:03月05日(日)17時48分15秒

>作曲のお仕事は、仕事していても仕事中にみえないところが、醍醐味だそうです(^^)。

パソコンの前にすわっていると、仕事をしていなくても仕事をしているように見えるところが
醍醐味です。>私のこと


姉ケ崎物語・その16、森と水のシンフォニーの作曲ノート

 投稿者:管理人  投稿日:03月09日(木)23時

藤掛先生は、お仕事場で、1冊のノートを見せてくださりました。
それは、「森と水のシンフォニー」の曲想を書き込んだもので、B5の音楽ノートでした。
先生は、「はち」と散歩しながら、頭に浮かんできたことを、書き留めるんだそうです。
中を末武さんは、食い入るように見ておりました。
末武さんは、へぇーといった顔になったり、にやりと笑ったり、じっとまじ顔になったり、
百面相みたかったです。初演指揮者の彼にはさぞかし感慨深いものだったと思われます。

その後、私も見せてもらいました。
思い付かれたメロディーとか、音符が並んでいるのを私は想像してましたが、
意に反して、文章ばっかりでした。それも、かなりたくさんの文章量です。
内容は、先生は「はずかしいからあまり見ないで」といわれておりましたので、
ここで書いたら叱られるかも知れませんので、残念ですがやめときます。
曲に対するコンセプトのようなものでした。

先生は、「森と水のシンフォニー」はゼロから練り上げたものなので、
かなりの気力、精神力を使われたようです。
ものを創造するということは、私なんかには想像できないような、産みの苦しみみたいな
ものがあるのでしょう。それだけにやっぱり素晴らしいんだなと思わずにはいられませんでした。
そして、ファンの私としては、本当にいいものを見せてもらえて幸せでした\(^-^)/。


姉ケ崎物語・その17、ロンドンでのこと。 

 投稿者:管理人  投稿日:03月30日(木)23時44分36秒

藤掛先生は、ロンドンに家族で住まわれたことがあるそうです。
音楽の勉強のためだったそうです。
その時に知り合ったイギリスの友人に、とある日曜日、お家に招かれたそうです。
そのイギリス人の家族全員がそろっておられ、昼食をごちそうになったそうです。
その時、大事なプライベートな休みの時間を、私のためにさいてくれたこと、
それが最上のおもてなしだと、はっと気づかれたそうです。

私達が先生のお宅にお伺いする時間をお昼過ぎにしようかと思っておりましたら、
先生が、うちのワイフの手料理ごちそうしたいから昼前にきてね、といわれました。
そして、先生と奥様とお嬢様の3人と私達は、お昼をごちそうになりました。
奥様の手料理の数々の品々!すべてが美味しく、とくに味噌カツは絶品!
ワインとごちそうと先生一家のトーク、至福の時でした。

あ〜 おいしかった。

書いてたら、またお伺いしたくなってしまいました(^^ゞ


姉ケ崎物語・その18、「星の子供」「木馬」

 投稿者:管理人  投稿日:03月31日(金)00時12分24秒

先生はソロオーケストラのさわりを私達に弾いてくださいました。
(その10、「ピーターと狼」参照ください。)
その大音量の迫力ある演奏のあと、先生はおもむろにピアノの前に座り、
何を弾いてくださるかと、生唾ごっくんの私達の前で・・・
曲は「星の子供」!
じ〜んと染みて、鳥肌もの、しびれました。拍手!!!

私はずうずうしくもリクエストを。
先生「木馬」を。
先生は、「はいよ」という感じで弾き始めてくれました。
私は八つのバラードの中で「木馬」の大ファン!また、学生時代ジョイントコンサートの
アンコール曲でしかもアクシデントありの超思い出の曲。
この時の感動を何にたとえたらよいでしょうか・・・

藤掛先生ありがとうございました。


味噌カツは

 投稿者:Kunika@Concordiaさん  投稿日:03月31日(金)12時38分19秒

>管理人さま
「味噌カツをごちそうになった」なんて聞くと
むずむずします。関東地方で味噌カツを捜しても
どこにも無いんですよ。
岐阜で一人暮らしの頃は味噌カツの食べ過ぎで高血圧に
なったくらい好きです。名古屋へ帰った時は必ず食べます。

「星の子供」とか「木馬」とか聞くとまたまた背筋が
ぞみぞみ(岐阜では時々こういう表現をします)しますねぇ。
♪〜よーつゆはー、どーこからー、くーるのでしょーう〜♪
なんてつい唄ってしまいます。


姉ケ崎物語・その19、ソロオーケストラ

 投稿者:管理人  投稿日:04月11日(火)00時20分10秒

私が、「グランドシャコンヌ」の練習テープを持って指導を受けに岐阜へお伺いした時の
1981年春のこと。先生はシンセサイザーの生演奏をしてくれました。

当時、富田勲の「展覧会の絵」や「火の鳥」などでシンセサイザーが、一般の人に認知され
始めたころです。でもその頃は電子音楽は「冷たい」等と新しい音楽手段に対する拒絶反応の
ような中傷のようなものがあったのも事実です。
その後の83年頃に喜多郎の「シルクロード」の爆発的ヒットで、電子音楽も世間に定着して
きたかに記憶しています。また、その頃は、すべてシンセサイザーによる多重録音という
手法で気の遠くなるような作業を重ねて作品が完成していたはずです。(音楽の歴史が語れる
ほどの知識を持っていませんので、まちがえていましたらご指摘ください。)つまり、生演奏は
相当難しいか、出来なかったのではないかと推測しています。

先生は、複数のシンセサイザーをコの字型にならべ、天井には銅鑼などの打楽器がところせまし
と吊り下がっていて、口にばちをくわえながら、両手に両足に、それこそ曲芸のように
ものすごく忙しく動き回って演奏してくださいました。多重録音ではなく、生演奏となると、
いかに大変かは、見たことのあるものでなければ想像がつかないのではと思います。
もちろん演奏はとてもすばらしく、大音量の生演奏に体が震えるような感動を覚えました。

さてそれから、19年たち、先生の千葉の自宅でふたたび生演奏を聞かせていただきました。
(つづく)


姉ケ崎物語・その20、ソロオーケストラその2

 投稿者:管理人  投稿日:04月23日(日)22時12分07秒

藤掛先生のキャッチフレーズ「全く新しいシンセサイザーのコンサート」=「ソロオーケストラ」
この説明を、私なりに把握していることを説明したいと思います。

なぜ「全く新しい」のか?
先生はシンセサイザーとつきあって20年以上!その間に機械の進歩はすごいものらしい。
先生の御仕事場は、私が1981年に拝見させてもらった時と同じように、
やっぱりコの字型にキーボードが並んでいます。そして、キーボードについてる沢山のツマミ、
スイッチ類も同じです。打楽器はつるさがっていませんでしたが・・
ちがうことは、目の前に21インチディスプレイ。足元にはマック?の本体。
手にするはMOディスク。
さっそく弾いてくださいました。すると弾いたとおりに楽譜がするするとディスプレイに
表示されます。マウスに持ち替えてどこかをクリックすると、今の演奏が楽譜の現在位置を
示しながら、演奏が再現されます。
今度はそれを聞きながら、重ね演奏をします。また、いま弾いた物がするするとディスプレイに
音符となって書かれていきます。これで2パートできあがり。
これを、いろいろ音色をつまみで調整しながら、重ねていって一人で何パートも作っていきます。
一度に再現しながら、メイン旋律を生演奏する。
それが「ソロオーケストラ」だと思うんです。
なんしょ音色は豊富、打楽器も管楽器も弦楽器も思いのまま。ほかに、コンピュータならではの
特殊効果もあり、それを変化自在に組み合わせて、曲を作り上げる。

実際にスメタナのモルダヴを弾いてくれました。マウスをクリックし、伴奏スタート。
そしてあの有名な旋律を先生が強いタッチで弾き始めます。これが、かっこいいんだ。

以上、ほんとに素人の解説ですみませんm(__)m。
いつか、先生に、ちゃんとした説明をしてもらえたらと思います。


「ヴィヴァ!マンドリン」の初演情報が確定しました。

 投稿者:管理人  投稿日:05月04日(木)18時41分07秒

「ヴィヴァ!マンドリン」の初演は、岐阜マンドリンオーケストラの「創立40周年記念
第69回定期演奏会(1994.4.23/岐阜市民会館大ホール)」
藤掛作品大好きな者・岐阜市長良在住の後藤秀児さんより、
パンフレットのコピーを送っていただきました。誠にありがとうございました。

そのパンフには、
マンドリン・バンザイ(初演)
(創立40周年を記念しての委嘱)
T.アレグロ・コン・ブリオ、U.アンダンテ・カンタービーレ
V.アレグロ・モルト・スケルッアルド
とあり、英語で
Viva! Mandolino at the request of H.Itoh (1rt Performance)とありました。

以前ぺんち&ドラバさんより情報いただいていたとおり、「マンドリン・バンザイ」は、やはり
「ヴィヴァ!マンドリン」でした。

姉ケ崎物語・その21、ヴィヴァ!マンドリン
なお、藤掛先生宅へお伺いした時に、このことをお伺いしてみたところ、
岐阜マンドリンオーケストラさんの日本マンドリン連盟会長の伊東尚生先生がパンフに
そう載せてしまったようで、藤掛先生は曲名は「ヴィヴァ!マンドリン」で!、といわれてました。


姉ケ崎物語・最終話、命かけて作った曲が再演されること

 投稿者:管理人  投稿日:05月22日(月)07時38分33秒

私は、この土日に会社のHPの立ち上げで休日出勤午前様でした。
さっき家に帰ってきて、やっとUPできたご褒美に大好きなビールを一人で飲っている。
バックミュージックは、後藤さんが送ってくれた「樹魂の歌」合唱付き。
それを聞きながら、2月に藤掛先生宅で聞いた先生の声が、私の酔った頭にこだまする。

「命をかけて作った曲も、聞いてもらえなければ、なかったと同じ! 0(ゼロ)なんだね。」

「紙すきのうた」再演が決まったとのこと、まずはものすごく目出度い。
今日は酔っていますので、一人で無礼講。
「紙すきのうた」どれだけ泣けたかわからない。
時たま聞こえる、マンドリンを彷彿とさせるトレモロ。ストーリーの悲しさ。そして、
出演者のまさしくプロを思わせる「うた」それにともなう「演技」、それを、みごとに、
引き出す先生のソロオーケストラ&指揮。
先生はあくまでも生のソロオーケストラにこだわったらしい。しかし、出演者の方より
歌い出すタイミングなど、練習に練習を重ねるので本番のゆれについていけないとの心配があり、
生演奏を断念されたそうだ。
しかし、この2時間半のオペラに先生の作曲の魂、力、エネルギーは、いかほどだったろうか?
全てのセリフにメロディーをあたえ、バックミュージックもすばらしく劇的に作る・・・
「命をかけて」は大袈裟ではない!私はそう思う。

先生は「マンドリン界は奏者のひたむきさ、そして情熱」が大好きだそうだ。
そして、「何遍も再演してくれる。これほど、有難いことはない。」のだそうだ。
たしかに、そうかもしれない。
私は、「パストラル」を初めて聞いて、新鮮な感動を覚え「いつか弾いてみたい!」
その一念で、大学でもクラブを続けられたのかもしれない。

後藤さんのおかげで、先生のマンドリン関係以外の活躍を知ることができた。
まったく幸せである。感謝!!!
管弦楽にしろオペラにしろ大合唱付きのものにしろ、その先生の作品は、
この掲示板をお読みの皆様の耳に入ることはあるのだろうか?

「聞いたことがなければ、ないと同じ」
その先生の決意は、今度のソロオーケストラコンサートに現れるはずだ。きっとそうだ。
「マンドリンを聞いたことの無い人にも、マンドリンのすばらしさを知ってもらいたい。」
そういう先生の声が、酔っている頭にこだまする。
私は、とかく閉鎖的だといわれるマンドリン界をなんとかしてくれるのは・・・
藤掛廣幸先生ではなかろうか。
そう思えるからこそ、このHPがんばってやっていきたい。

今日は、綺麗に一人で酔っぱらってしまいました(^^ゞ
藤掛先生宅訪問記、「姉ケ崎物語」はこれにて終わりです。


【編集後記】 長い文をここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
この「姉ヶ崎物語」は2000年2月6日に先生宅へお伺いしてより5月22日の最終話まで、全23話よりなりたっています。
その間に皆様より、応援激励のメールや掲示板への書き込みを頂き、誠にありがとうございました。
HPの管理人は、HPの感想や投稿があって、はじめて更新できるのだと思います。
情報を発信続けるのには、多大なエネルギーがいります。
それを後押ししてくれるのは、やっぱり、皆様からの「見てるよ」という暖かい声にほかなりません。
これからもよろしくお願いします。(成瀬賢次)



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